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​アカシア年代記 3話

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プセルロス<750~807> 

ヴァシリ帝国宰相

 ドクサ宮殿と言えば、古都ヴァシリティオンの観光名所である。

 新市街と旧市街から同程度の距離にある小高い丘の上にあって、観光客は市電でエイレーネ駅まで行くかタクシーを使うのが一般的だ。足に自信がある人は街から徒歩で行けなくもない。

 この宮殿を訪れた者たちは、まず幾何学文様の施された美しく大きな門に感嘆の息を漏らす。門を抜けると、程なくして宮殿の中にたどり着くのだが、そこには仕掛けが施されていた。太陽の動きを計算されつくして設計された身廊は、差し込む光の量によって訪れる時間帯毎に違う顔を見せた。だから穴場の時間帯が存在せず、ドクサ宮殿はいつ何時も観光客で溢れていた。当時の建築技術の粋を集めたギリク建築の最高傑作である。

 この宮殿は旧市街のハギア宮殿に比べると、ずっと小さい。それもそのはずだ。この宮殿は元々廟として作られたものであると、どのガイドブックにも書かれている。まるで、それがドクサ宮殿の本質だと言わんばかりに。

 

 元々廟として作られたものを、宮殿に改築したということか。いいや、そうではなかった。

 この宮殿は初めから、とある死者の為に廟として建てられた。だから歴代のヴァシリ帝国の皇帝たちは誰一人としてドクサ宮殿に居を構えていない。

 

 死者の居住地に手を出すのは縁起が悪い。

 

 ドクサ宮殿は宮殿としての機能を与えられていながらも、一度も使用されたことのない建物である。それでもこの空虚な宮殿の美しさは、死者にまつわる負のイメージを神秘的なイメージにすら変貌させ、訪れる者たちの心を掴んで震わさずにはいられなかった。

 

​***

 

 美しさで他を圧倒する点において、ドクサ宮殿はヴァシリティオンそのものだった。

 この玲瓏れいろうな都は異国の使者達を、あっという間に鄙びた田舎者にしてしまう。国を代表する誇り高き彼らは、祖国に戻ると子どものように興奮気味に顔を赤らめて、ヴァシリ帝国の繁栄を報告した。

 栄光のラカ帝国の唯一にして正当なる後継国。東西に分裂してしまった古代ラカ帝国の片割れ、東ラカ帝国。その別名をヴァシリ帝国。

 

 ヴァシリ宮殿の高官たちは慇懃いんぎんにして無礼。それでも、外国人たちはヴァシリ帝国に、ヴァシリティオンに憧れずにはいられなかった。

 ヴァシリの都には全てがあった。

 東西の文明の交わる都市。技術や文化、それを使いこなす人間達。この世の何もかもがこの都に集まった。

 

 8世紀頃に著されたグルツンギ、現フランカの歴史書『シメオン年代記』にはヴァシリティオンについてこんな記述がある。



 

“この場所で手に入らないものなど存在せず、その美しさは、まさに地上に現れた楽園であった。その豊かさたるや、ヴァシリティオンで1年働けば、グルツンギで7年は遊んで暮らせる程である”

 

 

 グルツンギは元西ラカ帝国の一部の国である。

 4世紀に西ラカ帝国が滅亡してから4世紀の間に、東西の経済格差はこれほどまでに大きくなっていた。

 一方で、この未曽有みぞうの発展を遂げていたヴァシリ帝国の歴史は、他国からの侵略と戦う歴史でもあった。歴代の皇帝たちはあらゆる策を講じてはラカを守ってきた。他国と同盟し、破棄し、そして裏切りさえも辞さない。

 

 全てはヴァシリ帝国の存続の為だ。

 しかし、彼らの慎ましい努力の姿は他国から見れば信念がなく、卑怯で信用できない国に映った。

 

 ヴァシリ人たち(本人たちの自称はラカ人・ラカ帝国であったが、本項では混同を防ぐためにヴァシリ人で統一する)は、ヴァシリを軽蔑する彼らを逆に鼻で笑ったかもしれない。お前たちがこの国を狙わなければ、こんな国になる必要はなかったのだと。元々ヴァシリ帝国は勇ましい古代ラカ帝国の末裔である。本来ならば外交に巧みになる必要はなかった。

 ヴァシリ帝国とは、古代ラカ帝国を継承する由緒正しき国でありながら、生き延びる為に変容を受け入れた国なのだ。



 

「あんな田舎者達にどう思われようとも、痛くもかゆくもないでしょう」

 

 

 これがヴァシリ人達の総意のように思われる。

 この言葉は、ペラギア女王の時代に、宰相ヴァシレオパトールを努めたプセルロスの言葉である。

 グルツンギ王をして「奴は三枚舌であり、必要であれば嘘をつき、それを翻すことを恥だと感じることがない」と言わしめたプセルロスだ。

(1)

 赤ら顔でニキビ面。頭髪が薄く、背が低かった。

 グルツンギ王の使者によるプセルロスの外見的特徴である。後述するが、彼らはプセルロスに恨みを持っていたので、些か誇張が過ぎる表現のように思われる。

 だが、残存する絵画イコンを見ると、実際に背は低かったようだ。美男か醜男か。少なくとも美男ではなかっただろう。

 

 

 750年6月15日、ヴァシリティオンの没落貴族カンダクジノス家の長男として生を受けている。妹弟も何人かいたようだが、彼らは歴史には登場しないので割愛する。

 

 家族的な繋がりが薄かったのか、もしかしたら夭折していたのかもしれない。彼らが生きた8世紀において、子どもが成人するまで健康に育つ確率は後世よりはずっと低かった。

 プセルロス自身は運よく生き延び、大学まで出た。彼は秀才だった。学費を惜しむように本来ならば25歳で卒業する大学を17歳で飛び級、しかも首席で卒業している。

 

 プセルロスの同級生の日記が残っている。


 

“不思議なことに、彼と対立するもの、あるいは彼を目の敵にする者は悉ことごとく大学を後にした。彼に悪意を持って関わると不幸せになるという法則が広まることに、多くの時間を要さなかった。ある者は皇女と内通したことが発覚して未来を閉ざされ、またある者は大学の金を横領したことが発覚して、追放されている。どれも自業自得だが、不気味ではあった。やがて彼に興味本位で近づく者はいなくなった。見た目は胡散臭い小男だが、こういう男とは、関わらぬ方が吉である”

 

 日記には“彼”の名前は一切出てこないが、これはプセルロスのことだろう。

 仮にプセルロスと似たような年頃で飛び級者がいたとしても、飛び級して尚且つ首席で卒業する者は限られている。

 興味深い内容だが、学生の時分はこの手のことを陰謀めいた話に結び付けたがるものだし、なんの後ろ盾もないプセルロスが貴族の若者たちを陥れるどんな方法があったというのか、現実性に欠けることも事実である。

 ただ、噂の真偽は定かではなくても、この男は関わらぬ方が吉であると周囲から思われていたことは確かだっただろう。

 経済的に豊かな者が進学する大学の中で、プセルロスのような困窮した若者は異分子だった。加えて彼には後ろ盾がなく、味方になってくれるような有力な友達もいなかった。

 呪いの男という扱いを受けていたことをこの男はどう思っていたのだろうか。

 もしかしたら、グルツンギ人達に向けた『相手からどう思われようと痛くもかゆくもない』という境地はこの頃に既に修得したものだったのもしれない。

 兎に角この秀才は卒業後に官僚になった。ただし、官僚と言えば聞こえが良いが、当時のヴァシリ帝国には官僚が多かったので一概にエリートコースとは言えない。

 彼が配属された先はどうだったのだろうか。

 プセルロスが配属された先は、大学を飛び級主席で卒業した男にしては不当に低く、没落貴族にしては快挙とも言えなくはなかった。

 当時7歳になったヨハネス帝第二皇女、ペラギアの室だった。彼女の家庭教師、お守り役と言っても過言では無かろう。

 歴史に名高いへメレウス帝の母にして自身も女にして皇帝になった、後の女帝ペラギアである。

 


 


(2)

この子どもじみた師弟に関して記録は少ない。

 二人が普段何を中心に学んでいたのか、空き時間は何をして過ごしていたのか、そもそも良好な関係を築いていたのか。

 その一切について歴史書は触れてくれていない。ペラギアは父帝から特に冷遇も厚遇もされていない、数ある皇子皇女のうちの一人に過ぎなかった。

 上には皇太子として君臨する異母兄のテオシウスを筆頭に、同母と異母を合わせて三人の兄姉がいる。帝位から遠い皇女に対しては妥当な扱いであろう。

 そんな彼らが次に歴史書に姿を見せるのは、776年の秋。

 アンドロニコス帝の即位の時のことだ。


 

 話が前後するが、経緯を簡単に説明する。

 前年の775年4月3日。テオシウス皇子が亡くなった。父ヨハネス帝と共にトラケール人の国であるトラニキアとの戦に従軍し、流れ矢に当たったのである。うららかな春の日だった。

 

 即死ではなかった。皇子は首都ヴァシリティオンのハギア宮殿に運ばれ、父帝ヨハネスと生母エイレーネに看取られながら亡くなった。三日三晩苦しんだと記録されている。テオシウスに放たれた矢は毒矢だった。

 皇子が亡くなってからすぐに――もしくはその前に、周囲は暗殺を疑った。

 テオシウス帝を誕生させたくない一派が、テオシウス皇子を亡き者にしたのではないか。

 ヨハネス帝は怒りに震えながら調査を命じた。

 トラケール人は通常毒を使用しない。ヴァシリ帝国の何者かがトラニキアの人間を雇い、確実に亡き者にする為に毒矢を渡したのではないかという推察は、非現実的な話ではなかった。

 ヴァシリ帝国は他国から魔の巣窟と呼ばれていた。この宮殿ほど権謀術数が横行し、水面下で足を引っ張り合っている場所は他にない。常に多くの手段と策略が複雑に結びついていた。

 調査を命じたヨハネス帝も彼自身は優秀な皇帝だったが、帝位を継承するにあたっては清い身の上ではなかった。

 

 皇帝が暗殺を疑っている事実はすぐに知れ渡った。この頃の宮廷内に緊張の空気が走っていた。皇族殺しである。事態の黒幕は、本人だけではなく一族郎党全て皆殺しかもしれない。決して楽には死ねないだろう。

 しかし結論としてテオシウス皇子の死には誰も関わっていなかった。  

 

 調査はテオシウス皇子の死によって得をする人物たちを中心に行われた。

 まずペラギアの同母兄アンドロニコス。テオシウスの下の異母弟として、彼の死によって皇太子の位を得る皇子である。次にその母テオファノ。更にはテオシウスが帝位に就いたら栄達から外れるであろう者達。その誰もがトラニキアとの明確な繋がりを持たなかった。

 では一体だれがトラニキアに毒を授けたというのか。

 実はトラニキアは近年交易に力を入れて発展を遂げている。毒矢もその流れで導入されたものだろう、というのが調査の見解だった。

 そう報告されれば成程、辻褄つじつまはあった。

 現在では敵国であるヴァシリ帝国自身も、トラニキアの主要な交易相手の一国だった。鎖国しているわけでもないのだから、トラニキアが異国の武器や毒を用いていても、不思議はない。

 余談だが、トラニキアの首都ゼピュロスからほど近いアーレスの遺跡から、考古学華やかなりし19世紀に、7世紀から8世紀位のものであろうと思われるクロスボウが発見されている。形状は同時代のグルツンギ製のものと酷似していた。

 グルツンギ人自身ではなく、それを輸入したトラニキア人が所持していたものだろう。時代から考えて、ヴァシリ帝国相手にもこのクロスボウは使用されていたかもしれない。

 

 話が横道に逸れた。

 

 調査と並行して、皇太子テオシウスの国葬は速やかに行われた。

 期待していた皇子だけに、彼の死はヨハネスを気落ちさせた。

 皇太子にはアンドロニコスが擁立された。だがしかし、皇帝とこの新しい皇太子との間には既に深い溝が出来ていた。テオシウスの死に関して、ヨハネスが真っ先にアンドロニコスを疑ったことが一生後を引いたようだった。

 失意のうちに、ヨハネス帝もテオシウスの死の一年後に帰らぬ人となった。

 アンドロニコス帝の誕生である。


 

 アンドロニコスの戴冠式にプセルロスとペラギアの二人が参加している。

 この頃になると皇帝の同母妹ということで、プセルロスとペラギアの記述も少しずつ出てくるようになる。

 

 ペラギアはまだ未婚だった。プセルロスと出会った時には7歳だった彼女は、今や16歳だ。

 適齢期だが、婚約の話は出ていない。

 彼女の師匠であるプセルロスはアンドロニコスという最強の後ろ盾に、主の嫁ぎ先の斡旋を願い出ただろうか。

 記述はそこまではされていない。常識的に考えるとどうだろう。

 一介の家庭教師に過ぎないプセルロスが皇帝に願い出るのは僭越せんえつである。かといってもペラギア自身が動くわけにはいかない。

 

 彼女の母親であるテオファノ経由でそれとなく歎願たんがんするのが無難であろう。ペラギアの為に何か動くとき、プセルロスは高い確率でテオファノのもとに足を運んでいる。

 いつでもペラギアの為に奔走しているのは、彼女の運命がそのまま自分に帰ってくるプセルロスだけだった。

 一方テオファノ自身はペラギアに対して関心は薄かったのか、娘の為に何かを働きかける記述は、プセルロスと違って一切残っていない。

 

 幸いなのは、ペラギア自身はテオファノに対して思うところはなかったようだ。後年皇帝になった彼女はテオファノと良好な関係を築いている。ペラギアは生涯を通して精神に屈折を持たなかった。

 


(3)

 彼らの記述はそこから二年後に飛ぶ。この年に一体何があったのか。

 プセルロスにとっても、帝国にとっても、大きな事件があった。


 

“778年 6月アンドロニコス帝 病によって崩御する。同年同月 処女おとめペラギアが女帝として即位”

 

 ヴァシリ帝国史にはこの一文が記されている。

 処女という記述が分かりづらい。原文では“Παρθένος”という単語が使われている。これは性行為の経験がない女に対して使われる単語である。

 だがこの文脈においては実際の経験の有無に言及したものではなく、他家に嫁いでいないことを強調した言葉であろう。

 現にペラギアの異母姉は他家に嫁いで等しく、子どもを儲けているので皇帝の候補から除外されている。

 

 

 アンドロニコスの死因ははっきりと記されていない。苦しみぬいた異母兄テオシウスと違って、発病から一晩であっさり亡くなっている。

 どうやら死に際の様子から季節外れのウイルス性感染症、今でいうインフルエンザであったようだ。生活を共にしていた側室のマルティナも一緒に発症した。だが、幸か不幸か彼女は回復している。

 彼らの一人息子であった皇子ファビウスは父と同じく帰らぬ人になり、マルティナは一晩で夫と息子を失った。

 二人のうちどちらか一人でも無事であったなら、その後の彼女の運命も大きく変わったであろう。マルティナはその後哀れにも身ぐるみを剥がされるように修道院に入れられている。


 

 新皇帝ペラギアが誕生した。

 年若い彼女が皇帝に選ばれた理由は幾つかあるが、その一つは有力な大貴族との繋がりがなかったことだった。彼女のそばにいたのは幼い頃から付き従っているプセルロスという没落貴族の若造だけ。周囲にとっては、扱いやすそうなことこの上ないように見えた。

 こうして都合の良い存在として選ばれたペラギアはプセルロスと共に、以後時代の主役として歴史の表舞台に本格的に顔を出す。

 果たして彼らは周囲の期待通りに都合の良い存在になったのだろうか。

 答えは否である。

 元々プセルロスは難関である大学を短期間、しかも首席で卒業している秀才である。何を求められ、何を回答すれば最善であるかを把握する能力に長けている。

 没落貴族の若造は然るべきところに出せば、然るべき能力を発揮した。

 プセルロスはペラギアが即位して数年で、ヴァシリ帝国の宰相に収まっていた。

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