アカシア年代記3話
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即位から約2年経った780年12月24日。
ペラギアはへメレウスという息子を出産した。
ヴァシリ帝国最盛期の皇帝、歴史に名高いへメレウス帝である。
父親はヨハネス(当然のことだが、ペラギアの父帝ヨハネスとは別人)という軍人だった。
軍人のヨハネスはペラギア好みの大変美しい青年だった。息子のへメレウスも父親似の爽やかな風貌を受け継いだ皇帝になった。光の女神にちなんで名づけられたように、この美しい皇帝は常に光り輝く人生を歩き続けた。
名づけ親は祖母テオファノである。
自らも美しさによってヨハネス帝に見初められた彼女は、同じく美しい孫を殊の外可愛がった。こうしてテオファノはペラギアの結婚には何の興味を示さなかったくせに、この孫のことに関しては想像もつかない程の行動力をもって結婚相手を探した。
祖母が幼い孫の配偶者に気を配る。
どの時代どの家庭でもありそうな、その行動がヴァシリだけではなく他国をも騒がせる一大事に発展することを、誰が予想できただろうか。
プセルロスでさえ例外ではなかった。
786年9月 グルツンギの使者がヴァシリへ向かって旅立った。
プセルロスが彼らの存在を認知したのは、彼らがもうそろそろヴァシリ帝国の領土へ足を踏み入れんとする11月頃だった。
それを耳に入れた当初、プセルロスと彼の周囲は首を傾げた。
グルツンギの正式な使者がヴァシリに向かっているという。
通常、使者が来訪する前に知らせがあって然るべきなのだが、生憎宰相である彼の元には一切報告が上がっていなかった。一行はどうやら本物らしいが、このことをどう判断すればよいのか分からない。
グルツンギは遥か西方にある同教徒の国である。ヴァシリから彼の国までは幾つもの国を挟んでいる。険悪になることもない代わりに、友好にもなりようがない国であった。ヴァシリにとってグルツンギは、大昔に同胞である西ラカ帝国があった場所であるが今では田舎の国、程度の認識である。
だがプセルロスが生きた当時の国民感情としては、悪感情が生まれつつあったであろうか。
グルツンギの王、エルナマリクは若い王であった。
彼は即位後、急速に領土を拡大させていた。そして遂に西方教会の最高指導者の庇護の元、西ラカ皇帝を自認しだしたらしい。
ちなみに、東方教会の最高指導者である総主教はヴァシリ帝国にいる。
ヴァシリの人々にとってはエルナマリクの西ラカ皇帝自称は僭称せんしょうも甚だしかった。
ラカ皇帝は西ラカ帝国が滅んだ今、至上に唯一人ただひとり。東西分裂後、滅びることなく持続している東ラカ帝国たる我らが皇帝だけである。
グルツンギの使者の話が出てきたのは、帝国中がその空気を纏っていた時期である。
だからプセルロスもラカ皇帝"僭称"に関することであろうと思い、それならば先触れも知らぬ田舎者達にヴァシリの栄光を見せてやれと歓迎の準備を指図した。
彼らの言いつかった使命を知らないプセルロスは嫌味な意図はあれ、一行を歓迎をしようとしていた。帰りにはヴァシリの絹でも持たせて、格の違いを思い知らせてやれという気持ちである。
当時ヴァシリの絹の質は世界最高水準を誇っていた。
シルクロードを利用してやって来る絹商人は、西はヴァシリ帝国、東は大彩帝国を行き来して、孫の代まで遊んで暮らせる程の財を築くことが出来た。
更にペラギアの時代になると、国が運営する工場を設けてそこに各工程を担当する者達や選りすぐりの職人を集めた。作業の分業によって効率化したヴァシリの絹は生産力が上がり、加えて国が市場価格を操作しだしたので、高騰も暴落もせずに安定した潤いをヴァシリ帝国にもたらした。
8世紀のヴァシリでは既に工場制手工業マニュファクチュアが導入されていたのである。
グルツンギ使者たちも、自らの役割の重要性も理解していたが、内心では役得としてヴァシリの絹を買い付ける算段であった。ヴァシリの絹は高額であるが、国に持ち帰れば価値が跳ね上がる。借金をしてでも購入する心持ちである。
だがしかし、彼らはまさか自分たちがヴァシリ国内に足を踏み入れることすら出来ないとは夢にも思っていなかった。
786年11月未明 グルツンギの使者がヴァシリ帝国に足を踏み入れる手前、トラニキア国内で山賊に襲われた。一行は年若い小姓一人を残して惨殺された。
彼らは金銭目的の人でなし達の手によって身ぐるみを剥がされ、遺体が発見された時には裸同然だった。とても一国の使者達の最期とは思えない有様であったことだろう。
小姓は命からがら帝国内に逃げ込み、国境の兵士の保護の元、ハギア宮殿に連れていかれた。
この報告を受けたテオファノは顔を真っ赤にさせて、公務中のプセルロスの元に走り、どういうことかと詰め寄った。その言い様があたかも、この不運で残虐な事件がプセルロスの仕業であるような言い方だったので、彼も負けじと応戦した。
宰相は皇太后への礼儀を忘れてはいないと言わんばかりに、下座へと下がってから慇懃に言った。
「生き残った小姓は山賊にやられたと言っている。それが何故私のせいだと仰るのか。他国の治安の責任まで負ったつもりはございません」
プセルロスは態度はへりくだりながらも、自分は関与していないという要点だけははっきりと述べた。大体、グルツンギの使者達を殺してプセルロスになんの得があるというのか。幾ら皇太后陛下でも、言いがかりが過ぎるというものだと婉曲的に反論した。
テオファノはそれでもこの見た目が良くない、だらしなくも中年太りをしてきた元家庭教師のせいだと決めつけた。皇太后は周囲の者たちに連れていかれるまで、興奮しながら彼を怒鳴り続けた。
今回の事件の中心であるへメレウスがどうしていたのか記録にはない。あったとしても6歳のこと、事態を十分に把握できなかっただろう。
実はテオファノはグルツンギ王エルナマリクから要請される形で孫息子とグルツンギ王女、アンヌの婚約を進めていた。
アンヌは当時7歳。賢く愛らしい少女だと耳に入れていた。加えてグルツンギなら同教徒の中では別格のヴァシリを除いて、一番大きな国である。
その王女を娶ることはへメレウスにも箔が付く。
横やりを入れられる前に正式な手順を踏んだ婚約という既成事実を作ってしまう算段であったので、プセルロスにもペラギアにも内密にしていた次第だ。
テオファノはかつて彼らを冷遇していたにも関わらず、立場が変わった今や、逆に二人からは皇太后として厚遇されていた。
そんな二人に対するこの軽んじ方は一体どういうことか。
歴史が記録しないような裏では、テオファノは二人に対して色々と良好ではない複雑な感情を持っていたのだろうか。
しかし現在確認できるエピソードだけを見れば、要するにこの皇太后は皇帝と宰相を舐めていたのではないか、と考えるのが妥当のように思われる。
プセルロスは生き残った小姓に当初の予定以上にたっぷりと絹を持たせた。
グルツンギの手前まで護衛をつけ、送り届けるという過保護ぶりである。ただしグルツンギの国へは足を踏み入れず、手前の国までの護衛であった。
プセルロスの命令だった。
どうやら宰相は護衛達がエルナマリクから害を加えられることを恐れたようだ。彼の予想通りに怒り狂ったエルナマリクは、唯ただ一人だけで帰国した小姓に、お前が一人生き残った意味が分かるかと詰め寄った。
小姓は自分一人が生き残ってしまったことに対する詰問だと思って、泣きながら処罰を求めた。
だが、エルナマリクはその愚鈍さに腹を立てて怒鳴っただけだった。
「何故お前ひとりが無傷で済むのか。お前達がヴァシリとは無関係の者に襲われたことを、証言させるために敢えて生かされたのだ」
真実は分からない。しかし、エルナマリクはそう解釈していた。
この一件で東西の幼い皇族達の婚約は白紙になった。
エルナマリクも自らが言い出したことではあるが、娘を魔の巣窟と言われるヴァシリ宮殿に嫁がせることに対して躊躇が生まれたらしい。
彼はテオファノが上手く皇帝にとりなしてくれているものと思わされていた。実際は、話すら通っていなかった。
ヴァシリは信用できない国。エルナマリクの中に、この時それがはっきりと刻み込まれた。
更にはヴァシリから送られた大量の絹によって顔は立ったので、これ以上事を荒げなかった。
ペラギアは何をしていたのか。
怒り狂ったテオファノは、次にペラギアにあなたも同罪かと詰め寄った。
恐れ多くも唯一にして絶対の皇帝を罪人扱いする人間は、母親のテオファノくらいであろう。
実のところ、子どもたちの婚約の話は内密に行われていたので、生き残った小姓が来て初めて公になった情報である。プセルロスもこの時初めて耳にしたのだと、一応表向きはそうなっていた。
同様に(?)何も知らないペラギアは、息子のことに無関心であったことを責められたと明後日な勘違いを発揮して、これからは子どもたちに顔を見せるように心がけますと、母親に対して大真面目に言った。
ペラギアはヨハネスとは正式に結婚せず、教会から嫌味を言われながらも父親の違う子どもをへメレウスの他に何人か産んでいた。
(5)
問題がやって来るのは西方からだけではなかった。
東方へ目を向けてみると異教徒の国である、建国したばかりのアンティオ王国がヴァシリを狙っている姿が見える。
792年10月1日 アンティオ軍が遂にヴァシリの国境を越えた。
総大将は王マリクの弟、太陽の剣の二つ名を持つマルワーンである。
彼らは破竹の勢いで首都に進攻していた。戦況はヴァシリにとってかなり悪い。首都を制圧されれば、ヴァシリ帝国は西ラカ同様に潰えてしまう。
プセルロスが総大将に立てたのは外国人将軍、トラケール人のスホラリウスだった。ペラギアの異母兄テオシウスを殺したのはトラケール人の国であるトラニキアだったが、この人事に異論が出てこなかったことは実にヴァシリらしい。スホラリウスの実力は誰もが知る所だった。問題はむしろその後である。
プセルロスはマルワーンに一通の書状と共に金銀財宝を送り付けた。
書状の内容がアンティオ王国の年代記に残っている。
『我らはか弱き女帝をいだく帝国である。力強き王マリクを頂きに持つ王国のことを、我らは父であり兄であり友のように思っている。気持ちが形に現れることはないが、せめてこの気持ちの少しでも伝わることを願い、贈呈する所存である』
この書状を送り付けるにあたって、宮中は大いに揉めた。
アンティオ王国は建国から1世紀も経っていない新興の国である。古代ラカ皇帝の正統なる流れを汲む、我らが皇帝ぺラギアを子どもの立場に置くことは、ラカの歴史全てを愚弄する行為である。絶対にこの書状を許すことはできない。
この主張は最もであった。
ヴァシリ帝国は高慢で傲慢であった。だが、ある意味ではその態度を貫くことは彼らの義務でもあった。
庶民のような王がどうして国民から尊敬されるだろうか。下手したてに出る気の弱そうな君主にどうして憧れを抱くだろうか。
周囲を見下し、誓いをいともたやすく破ることはヴァシリにとっては恥ではなかった。だが、弱者として憐れみを乞う姿を見せることはあってはならない。
この書状を送り届けることを誰もが反対した中、プセルロスに唯一の味方がいた。
ペラギアである。
この師弟の不思議なところは、私的な面では全く親しみを見せないにも関わらず、何かの際にはペラギアが必ずプセルロスの側に付くことである。子どもが親の言うことに従うように、ペラギアは必ずプセルロスの判断を後押しした。
ペラギアは真面目な皇帝ではなかった。楽しいことが好きで、美しい者達に囲まれることが好きだった。彼女にとってプセルロスは一緒に美食を楽しみ、芸人の芸を見て笑い合う仲ではなかった。政治的な内心が不透明なペラギアに比べて、プセルロスの権力欲は分かりやすい。彼は宰相の地位を利用して、富と権力を自分の手に貪欲に集中させた。
その代わりプセルロスは歴代の皇帝同様に国益を損なうことには一切手を出さなかった。
思えば不思議な間柄ではある。
ペラギアという後ろ盾によって書状を送り出したプセルロスは、一息つく暇もなく次の手に打って出た。
内政で驚くべき手腕を発揮して、ヴァシリの経済力を底上げしたプセルロスだが、彼の真骨頂しんこっちょうは外交にある。
一方、送られてきた貢物みつぎものと書状はマルワーンを上機嫌にさせた。
さながら誰のものにもならない、高嶺の花であった女性をものにした気分である。マルワーンは攻撃の手を一旦止め、王マリクに現状を報告する書状を送った。このプセルロスのわずかな時間稼ぎが、ヴァシリとアンティオの雌雄を分けた。
愛していると囁ささやきながら、男が眠ったところで剣を突き立てる――そういう女が聖書にいた。
スホラリウスがマルワーンに奇襲を仕掛けた。
アンティオ軍は慌てて応戦した。マルワーンは名将だったので、この程度のことで全滅には至らない。
奇襲とは相手が油断しているからこそ効果的な策である。この一撃で勝敗を決められなかったのなら、その時点で通常の勝負はついている。
スホラリウスは奇襲軍を撤退させ、ヴァシリの首都、ヴァシリティオンの方向へ軍を走らせた。烈火の如く怒ったマルワーンは、スホラリウス率いるヴァシリ軍を追撃した。
連勝の将軍マルワーンは、周囲に伏兵がいないか偵察することも怠らなかった。予想された通り、スホラリウスが仕掛けた伏兵はいともたやすく掠め取られて追撃は続く。
遂にヴァシリティオンまで逃げ切ったスホラリウス達は急いで城壁の中へ逃げ込んだ。
難攻不落として名を馳せる、ヴァシリティオンの城壁である。アンティオ軍の上から炎の塊かたまりが降ってきた。ヴァシリ軍が城壁の上から投げつけた『ヴァシリの炎』という未だ仕組みが解明されていないヴァシリの兵器だ。
塊は周囲の武器や人を残酷に絡めとり、火だるまにしていった。布や砂では容易に消えず、炎の精霊ジンが宿る怪物のようであった。
10月5日未明、遂にヴァシリ人たちが待ち望んでいたものが現れた。
マルワーンは我が目を疑った。見慣れぬ軍隊が後方に出現した。そしてあろうことかマルワーンの軍に迫ってきている。
約20年前、ヴァシリ人と戦い当時の皇太子テオシウスの命を奪ったトラニキア軍である。
前方には高くそびえたつ城壁、後方には蛮勇名高いトラニキア軍。既に疲弊ひへいしているマルワーン軍に応戦する体力は残っていなかった。
彼には何が起こっているのか分からなかった。
実はスホラリウスを任命し、心にもない言葉と財宝を送って時間を稼いだ裏で、プセルロスは光の速さで北方のトラニキアと同盟を結んでいたのである。
トラニキアへの見返りは首都ヴァシリティオンでの10年間の貿易特権。あらゆる場合でトラニキア商人を優遇するというものだった。トラニキアが交易に力を入れ始めたことは前述した。ヴァシリとの貿易によって多大な富がトラニキアに流れてくる。トラニキアにとっては悪い話ではなかった。悪い話どころか、降って湧いた僥倖ぎょうこうだ。
こうしてヴァシリの技術を尽くした兵器と巧みな外交と経済力と、あらゆる手段を講こうじてヴァシリ帝国は滅亡の危機から逃れることが出来たのである。
ちなみに、“敵の敵”を“敵”にぶつけて戦わせるというヴァシリお得意の戦術はこの頃から生まれたものだ。