王を象る男の噺
里見透
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──グラエキア統一。それはかつて強大なラカ帝国を築き上げた、ラカの末裔にとっての悲願であった。
同じ民族の暮らす場でありながら、散り散りになった数多の都市国家。それらをまとめ上げ、強大な一つの国家をなし、東西南北を取り囲む列強国と渡り合う。その大業を、ジラルドのこの手が導くという。
(簡単なことじゃない。それぞれの都市国家には代々連なる権力者がいる。奴らが既得権益を貪り続けるために、列強国と手を組むからこそ、事態が混迷するんだ。無理に統合しようとすれば、──統合どころか、内戦になるだろう)
まさかそんな大業を、ジラルドになせようはずもない。
都に身をおいて数ヶ月の後、彼の養父となった老人が、息を引き取ったと連絡があった。葬儀には、彼の実子達が連なることになっている。ジラルドのことなどお呼びではない。だからジラルドは、その場へ赴くことはせず、ただ老人との最後の会話を思い出していた。
(夢、……)
ジラルドの胸の内で、何かが動き始めていた。
「──聞いたか? ガリアの政変に巻き込まれた影響で、隣接するリグーアにまで、ガリアの法律が交付される運びになったらしい」
「絶対君主制をとるガリアの法を、このグラエキア半島に連なる共和国が受け入れたっていうのか? 冗談じゃない! 俺達には、ラカの時代から培ってきた共和国憲法があるだろう! それを、何故、外国の法なんかに」
「リグーアが折れたとなっちゃ、フロレンティアも他人事じゃない。このまま黙っていられるか!」
時代は着々と流れていた。周辺の列強国は徐々にその勢力を伸ばし、過去の栄光に縋るばかりの都市国家群は、じわりじわりと他国に食い荒らされていく──。
「ジラルド。あんた、随分と優秀なんだな。政治学専攻の学生さんって聞いたんだが、法律にも軍学にも詳しいなんて」
「俺達と共に、病めるグラエキアを救おう。ジラルド、力を貸してくれ」
いつからともなく、改革派の出入りする集会に足を運ぶようになった。知識の豊かなジラルドは、積極的に人々と意見を取り交わし、学びと刺激、そして憂国の友を得た。
(周囲と比べ、私は特段愛国心が強いわけでもない。だが故郷が諸外国の食い物にされるのは腹に据えかねる。それに、……)
──人々にその存在を望まれた、建国の父、ジラルド様。フロレンティアにとどまらず、グラエキア全土の至宝となりうる御方!
学位を取得し、養父と同じ外交官の位に就いた。それからは忙しなかった。目まぐるしく移り変わる情勢を読み、グラエキア半島中を駆け回り、フロレンティアと同じく都市国家の形式をとる諸国に、講和の必要性を説き続けた。列強諸外国の君主と書簡を取り交わし、時には敵国に頭を下げることもした。
(グラエキア半島統一。まだ、その言葉を口に出せるような段階じゃない。だが)
子供の頃に聞いた詩人の言葉を、信じていたわけではなかった。
ただ確実なのは、
その言葉を忘れることなど、出来ようはずもないことだけだ。
(旦那様も、──義父上も、同じ夢をご覧になったのだ)
どこの誰とも知れぬ、流れ者の詩人が吟じた、その詩に操られるかのように。
ジラルドが垣間見たのと、きっと、同じ夢を。
──王を見つけなさいませ、ジラルド様。貴方様は建国の父となられます。しかしあくまでも王ではない。
(我が共和国が今更、王を戴くことはない。詩人の言葉通りにはならないが、それでも、……)
それなら。
──英雄として歴史に名を残されることはないが、フロレンティアにとどまらず、グラエキア全土の至宝となりうる御方!
ある頃からジラルドは、幼い頃に聞いた予言めいた詩人の言葉を、他人にも告げるようになっていた。いつしかこのグラエキア半島に統一をもたらす、その立役者は自分なのだと、彼は友人達を相手に、面白おかしく吹聴したのだ。
酒の肴の話題であった。だが血気盛んな友人達も、集会に参加する後輩達も、この話を真に受けた。そして、まるで伝説を語るがごとく、熱弁を振るいこの予言を喧伝したのである。実際、フロレンティア国内の議会においても、グラエキア半島内においても、ジラルドの名とその外交手腕の巧みさは話題に上がり始めていた。それで人々は熱い期待をもって、この『伝説』を受け入れたのだ。
「総ては既に記されている。グラエキアは統一され、列強の脅威は一掃される!」
「自由、独立、我々の民族の為の国! 知恵の書物に約束された、グラエキアの輝かしい未来は今まさに、現実に描き出されようとしている!」
周辺の列強国のうちでも、市民による革命が起こりつつある時勢であった。その混乱に乗じ、なんとかして国内の列強勢力を駆逐し、半島統一をなしえようと、機運が高まっていた時期でもあった。
人々は声を高らかに、こう持て囃した。
グラエキア統一は果たされる。──ジラルド・ジランの手をもってして。
──ああ、忍耐強く博学で、勇猛果敢なジラルド様。英雄として歴史に名を残されることはないが、フロレンティアにとどまらず、グラエキア全土の至宝となりうる御方!
──王を見つけなさいませ、ジラルド様。貴方様は建国の父となられます。しかしあくまでも王ではない。貴方様は真なる王を育て、導き、──やがてグラエキア統一という、偉業をなされることでしょう。
全てが順調であるように思われた。
少しずつ糸が綻んでいっていたことに、ジラルドは終ぞ気づけなかった。
否、恐らく気づいてはいたのだ。ただ、立ち止まることは出来なかった。
目を閉じればいつだって、竪琴の音が聞こえていた。
それはまるで祝福のように、
それはまるで、呪いのように。
***
「自らが、王となることを望んでしまわれたのですね」
ぽつり、ぽつりと暗闇の中、語られてゆく言葉があった。
懐かしい声。懐かしいあの旋律。身体中が痛むのを感じながら、すっかり痩せて落ち窪んだ目をなんとかこじ開ければ、そこに一つの人影があった。
「ああ、お前は、……」
月も星もない暗闇の中。まるで世界から切り離されたかのようなその闇に向け、ジラルドはそっと声をかけた。
「いつか屋敷に訪れた、あの詩人じゃないか。……久しいな。何故もっと早くに、顔を見せに来なかった」
まるで友に語り開けるかのようにそう言えば、詩人はにこりと微笑み、また物語を歌って聞かせた。
ある書物の物語。過去未来を問わず、この世の総ての歴史を記録するという、──アカシア年代記の物語を。
「お前の予言は嘘っぱちだ」
投げやりになってそういえば、詩人は「いいえ」と否定する。
「予言ではありません。私めはただ、既に書かれた未来の歴史を、旋律とともに吟ずるだけ」
「ならば何故、グラエキア統一は失敗した。……列強からの猛攻に、思いもよらぬ第三国からの参戦表明。軍備は足りず数多の血が流れ、実らぬ革命のために多くが死んだ」
そうしてグラエキア統一の旗印となっていたジラルドは、自国からも諸外国からも責任を追求され、──こうして何の権力も財もなく亡命し、今、まさに、路傍で力尽きようとしているのだ。
詩人の口に語られまするは、全能の書の物語。
弦よ、そのはじまりを歌いませ。
人よ、その終わりを歌いませ。
詩人の紡ぐその歌が、そっと暗闇に染みてゆく。ジラルドは涙の浮いたその目で、ただ呆然と物語に耳を傾けていた。
(世の総てを識る年代記。ある者は、その存在に狂わされ、ある者は、その存在に救われて、──)
ジラルドは、一体どうであったろう。
幼い頃、詩人の語る年代記の断片に触れ、その熱に浮かされるまま、『夢』に邁進したジラルドの、この一生は。
「──私の王はどこにいる。このグラエキアを統一する、才に秀でた私の王は」
唸るように呟けば、詩人がはたと、指を止める。
──王を見つけなさいませ、ジラルド様。
冷たい石壁に囲まれた、薄暗く狭い路地の内。襤褸のマントを身にまとい、白いものの混じった髭を伸び放題に伸ばしたその男は、ぐったりと石壁に寄りかかり、譫言のように繰り返す。
「私の王はどこにいる。私の王、私が仕えるべき王は、……」
王を見つけろと詩人は言った。グラエキア統一を成し得なかった理由を、曖昧な予言のせいにしようとは思わない。だがもし、もしも、
ジラルドの足元に、まだ、模索すべき道が残されていたというのなら。
(議会が政治を取り仕切り、人民が声を上げて国を動かす共和国を、王政に書き換える気などさらさらない。だがもし、私の為すべき道が、まだ他にもあったというなら、それを試してみたかった。取れる手段は何もかも、──。きっかけは、詩人の語った物語。私の一生はただ、それに踊らされただけのもの。だが私は、私はそれでも、自分の意志で夢を見たのだ。グラエキア統一を果たすという、大きな夢を)
いつのまにやら、暗闇は晴れていた。
身体中がやけに痛んで、うまく力が入らない。この数日、熱が出たまま下がらないのだ。荷物の中にはいくらかの水と、固くなったパンが入っていたが、それすらも喉を通らない。
追っ手の目をかいくぐり、ようやくここまでたどり着いた。だが視界は霞んで歪み、立つことすらもままならない。
(私はこのまま死ぬのだろうか。売国奴の汚名を着せられ、友に裏切られて、──こんなところで、ただ、惨めに)
そう考えれば眦に、熱いものがこみ上げる。ああ、まさかこの期に及んで、まだ涙が流れようとは。
(随分と長い『夢』を見た)
身の丈に合わぬ夢を見た。それだけだ。その夢がただ、終わるだけ。しかし目を閉じた彼の肩を、──そっと揺さぶる力がある。
「あの、大丈夫ですか。……旅の方、どうか目を開けてください!」
──王を見つけなさいませ、ジラルド様。貴方様は建国の父となられます。しかしあくまでも王ではない。貴方様は真なる王を育て、導き、──やがてグラエキア統一という、偉業をなされることでしょう。
***
「──ああ、よかった。お目覚めですか! 少し待ってくださいね。今、スープを持ってきますから。……母さん、母さん! 例の旅人さんが目を覚ましたよ」
明るい声で少年が言い、家の外へと声をかける。まだ思考の定まらぬまま、それでもなんとか体を起こしたジラルドは、そっとあたりを見回した。
農家だろうか。随分粗末な作りの家に、藁にシーツがかぶったベッド。そこに横たわっていた己の身体を見下ろせば、傷口には清潔な布が当てられ、一通りの手当がされている。持参した旅の荷物は全て、枕元に置かれていた。
いや違う。彼が持参した荷物のうち、一冊のノートだけが、抜き取られて机の上に置かれていた。そのノートの傍らには、何やら文字を書き散らしたような木片が置かれている。
「旅人さん、今、母が来ますからね。そうしたらもう一度、傷口に薬を塗りましょう。……あっ、」
ジラルドの視線に気づいたのだろう。少年は気まずげに肩をすくめると、机に置かれていたそのノートを、そっと手に取り、すぐジラルドに手渡した。
「あの、ごめんなさい、何か物語のようだったから、……。これなら俺にも、読めるかも知れないって、その、文字の勉強にちょうどいいと、思って……」
物語。そうだ、まだ幼かった頃のジラルドは、詩人から聞いたその物語を忘れてしまわぬようにと、幼い文字でそれをノートに書き留めたのだ。亡命の折り、切迫した状況にもかかわらず、ジラルドはそのノートを荷に詰めた。そうして今まで肌身離さず、こうして持参してきたのだ。
「……、勉強がしたいのか?」
かすれた声でそう問えば、少年が「はい!」と明るく返す。
「俺の家には父さんがいないから、学校には通えなくて、……。でもみんな言ってます。いずれグラエキアが統一されたら、新しい平和な時代が来たら、俺みたいな農民でも、仕事を選べるようになるかも知れないって。この国のために、働くことができるかもしれないって! だから俺、少しでも勉強しておきたくて、たまに学校の窓の外に立って、授業を盗み聞きしてるんです」
少年の言葉は、まっすぐであった。
ジラルドはノートをこの少年に与え、傷の手当を受ける間、彼に可能な限りの学問を与えようと約束した。
そうして気づけば数年が経った。ジラルドの傷は癒えなかった。少なくとも、そういう事になっていた。
彼は田舎の町に学校を作り、名を偽って少年達に学を与えた。
そうして教えた少年達こそ、長じて後、青年団を結成し、グラエキア半島統一を成し遂げる中心人物となることを、ジラルド・ジランはまだ、知らない。
王を象る男の噺
2018/6/26